2026年8月4日、動画メディアプラットフォームの運営およびマーケティングソリューション事業を展開する株式会社エブリー(証券コード:607A)が、東京証券取引所グロース市場へ新規株式公開(IPO)を果たします。

主力のレシピ動画メディアである DELISH KITCHEN(デリッシュキッチン)をはじめ、ファミリー向けメディア トモニテ、ビジネスパーソン向けメディア TIMELINE など、ライフスタイルに根ざしたデジタルメディア群を育成してきた同社ですが、今回のIPOには投資家として知っておくべきいくつかの重要な側面が存在します。

本記事の要点は以下の通りです。
- ダウンラウンド上場:前回調達時の企業評価額(約240億円)から約80%のディスカウントとなる、想定時価総額約47.7億円でのシビアな上場。
- 収益構造の劇的な改善:巨額の赤字体質から脱却し、2026年6月期には通期での黒字転換を達成見込み。
- 事業のピボット:単なるオンライン広告から、全国のスーパーマーケットのデジタルサイネージを活用する BtoBリテールメディア へと戦略を転換。
- 需給の懸念:ベンチャーキャピタル(VC)の売出比率が極めて高く、上場後のセカンダリー市場ではロックアップ解除に伴う強い売り圧力が懸念される。
本レポートでは、エブリーの事業モデルの変遷から、競合他社(クラシル運営のdely株式会社)との戦略的差異、そしてプライマリー・セカンダリー市場における投資展望までを多角的に分析します。
エブリーIPOの基本情報・スケジュール
エブリーの新規株式公開にかかる基礎情報およびスケジュールは以下の通り設定されています。主幹事はSMBC日興証券が務め、SBI証券、マネックス証券、松井証券などが引受シンジケート団として参画しています。
| プロセス | 日程 |
| 上場承認日 | 2026年06月30日 |
| 仮条件提示日 | 2026年07月16日 |
| ブックビルディング期間 | 2026年07月17日 ~ 2026年07月24日 |
| 公募価格決定日 | 2026年07月27日 |
| 購入申込期間 | 2026年07月28日 ~ 2026年07月31日 |
| 払込期日 | 2026年08月03日 |
| 上場日 | 2026年08月04日 |
投資家にとって特筆すべきは、想定発行価格が 230円 と極めて低位に設定されている点です。これにより、個人投資家層の短期的な需要を喚起しやすい環境が整っています。
株式の募集・売出し構造とIPOの目的
公開規模および株式の発行・売出し構成に関するデータは、IPOの需給バランスを決定づける中核的な要素です。
| 項目 | 数値・詳細 |
| 上場市場 | 東京証券取引所 グロース市場 |
| 証券コード | 607A |
| 想定発行価格 | 230円 |
| 売買単位 | 100株 |
| 公募株数(新株式発行) | 1,105,300株 |
| 売出株数(既存株式の放出) | 4,815,100株 |
| オーバーアロットメント(OA) | 888,000株 |
| 公開株数合計(OA含む) | 6,808,400株 |
| 発行済株式総数(上場時) | 20,738,108株 |
| 想定時価総額 | 約47.7億円 |
| 市場吸収金額(想定規模) | 約15.7億円 |
| オファリングレシオ | 32.8% |
イグジット(資金回収)主導型のIPO構造
当該データが明確に示唆しているのは、今回のIPOが企業としての成長資金を大規模に調達するためのプライマリー主導型ではなく、既存株主に流動性を提供する セカンダリー(エグジット)主導型 の性質を強く帯びているという事実です。
総公開株数のうち、既存株主による売出株数はOAを含めると 5,703,100株 に達し、売出比率は実に 81.3% を占めています。市場吸収金額自体は約15.7億円とグロース市場において小型〜中型規模ですが、1株あたりの想定価格が低位であるため、流通する絶対的な「株数」が膨大となっている点には注意が必要です。
創業の背景と経営ボードの強み

エブリーの代表取締役社長である吉田大成氏は、日本のインターネット黎明期から業界の中枢で経験を積んできた人物です。ヤフー株式会社を経て、グリー株式会社においてモバイルソーシャルゲームの爆発的な普及期を牽引し、取締役執行役員常務へと異例のスピードで昇進を果たしました。
2015年のエブリー創業時、吉田氏はこの「動画」というフォーマットが次世代の生活インフラになると確信し、料理や育児といった日常生活に直結する領域でのメディアプラットフォーム構築に着手しました。経営ボードには、KDDIや食品卸など戦略的パートナー企業の出身者や、ベンチャーキャピタルの関係者が名を連ねており、強力な事業推進体制を構築しています。
事業モデル:レシピ動画メディアからOMOリテールメディアへの進化
エブリーの事業ドメインは、創業時の「BtoC向け動画メディア運営」から、現在ではメディアの顧客基盤と小売店舗の物理的接点を融合させた「BtoB向け広告・マーケティングソリューション」へと劇的な進化を遂げています。

メディアプラットフォームの構築
中核となるのは、日本最大級のレシピ動画メディア DELISH KITCHEN です。単なる素人の投稿レシピではなく、管理栄養士が監修した安全かつ実用的なレシピを自社スタジオでプロのクリエイターが制作・配信している点が最大の強みです。現在、月間アクティブユーザー数(MAU)は 3,100万人 以上に達しています。
OMO(オンラインとオフラインの融合)戦略の確立
強力なメディアトラフィックを背景に、エブリーはマネタイズの重心を「マーケティングソリューション事業(リテールメディア)」へと大きくシフトさせました。これは、現在会社全体の売上高の 70% 以上を占める大黒柱です。
具体的には、アプリ上で特定メーカーの商品を活用したレシピ動画を配信(オンライン認知)し、全国のスーパーに設置された 11,000台 以上の店頭デジタルサイネージで同じ動画を放映(オフライン購買喚起)する手法です。小売店の売り場という「購買の最終決定拠点」をメディア化することで、従来型のデジタル広告よりも高い費用対効果(ROAS)をメーカーに提供しています。
競争優位性(モート):食品卸大手との強固なネットワーク
店頭デジタルサイネージを全国のスーパーマーケットへ一挙に拡大できた背景には、日本の複雑な食品流通構造をハックする戦略的パートナーシップの存在があります。
エブリーは自社単独での営業ではなく、伊藤忠食品、加藤産業、旭食品(トモシアグループ)といった 食品卸売大手との強固な資本業務提携 を推進しました。小売店に対して絶対的な売場提案力を持つ卸売企業のDX支援パッケージに自社のサイネージを組み込むことで、他業種のIT企業が容易に突破できない深い参入障壁(モート)を築き上げています。
財務パフォーマンス:先行投資フェーズからの脱却と黒字化の道筋
エブリーの財務推移を分析すると、プラットフォームビジネス特有の「Jカーブ効果(初期の巨額投資による赤字から、損益分岐点を超えた後の利益創出)」が具現化していることが分かります。
| 決算期 | 売上高(百万円) | 経常利益(百万円) | 当期純利益(百万円) | 自己資本比率 |
| 2021年6月期 | 2,093 | △1,372 | △1,396 | 55.4% |
| 2022年6月期 | 2,425 | △1,004 | △1,057 | 20.4% |
| 2023年6月期 | 2,580 | △544 | △555 | 71.0% |
| 2024年6月期 | 3,360 | △644 | △771 | 53.4% |
| 2025年6月期 | 4,251 | △30 | △33 | 52.7% |
過去数年間は、ユーザー獲得費用やサイネージ機器の設置に伴うハードウェア投資により巨額の赤字を計上していましたが、2025年6月期には経常赤字がわずか3,000万円まで圧縮され、実質的な損益分岐点に到達しました。
上場イヤーとなる 2026年6月期 には、売上高約 50億円(前期比約18%増)、営業利益 3.45億円 を見込んでおり、見事な黒字転換を果たしての上場となります。
最大の焦点:ダウンラウンド上場の背景とバリュエーション
本IPOにおいて避けて通れない最大の論点が、ダウンラウンド上場(前回調達時の評価額を下回る価格での上場)という厳しい現実です。
2022年7月に資金調達を実施した際、エブリーの推定企業評価額は約 240億円 でした。しかし、今回のIPOにおける想定時価総額は約 47.7億円 であり、わずか4年前から約 80% も評価額が下落しています。後半ラウンドで出資した事業会社やVCは、深刻な含み損(アンダーウォーター)の状態で上場を迎えることになります。
この背景には、未上場市場におけるグロース企業への評価の収縮と、設立から10年以上が経過しファンドの償還期限を迎えるベンチャーキャピタルの「流動性確保(エグジットのタイムリミット)」という切実な事情が存在します。
競合比較:クラシル(dely株式会社)との戦略と時価総額の差

エブリーの市場価値を測る上で、かつてレシピ動画メディアの覇権を争い、2024年末に一足早くIPOを果たした「クラシル」運営元の dely株式会社(証券コード:299A)との比較が不可欠です。
| 指標・項目 | エブリー(証券コード:607A) | dely(証券コード:299A) |
| 想定時価総額(IPO時) | 約47.7億円 | 495億円 |
| 直近予想売上高 | 約50億円 | 170.0億円 |
| 予想営業利益 | 3.45億円 | 36.2億円 |
| 主力マネタイズ領域 | BtoB:リテールメディア | BtoC:クラシルリワード(ポイ活) |
2020年代に入り、両社の戦略は完全に分岐しました。delyは消費者向けのポイントアプリ(クラシルリワード)というスケーラビリティの高いBtoCモデルへ舵を切り、爆発的なトップライン成長を実現しました。
対照的にエブリーは、物理的なハードウェア設置や泥臭い営業活動が伴うBtoBのリテールメディアへ特化しました。参入障壁が高く安定したストック収益が見込める一方で、拡張速度(スケーラビリティ)の面でBtoCモデルに劣ります。この戦略の違いが、両社の売上高や利益水準、そして時価総額の決定的な差を生み出しています。
セカンダリー市場の需給:資本政策とVCのロックアップ解除条件
IPO後の株価形成において、市場関係者が最も警戒しているのが、既存株主の構成と彼らに課せられた ロックアップ(売却制限)の条件です。
| 株主名 | 持株比率 | 属性 | ロックアップ条件 |
| 吉田 大成(社長) | 21.49% | 創業者 | 180日間 |
| KDDI株式会社 | 13.09% | 事業会社 | 180日間 |
| 伊藤忠食品株式会社 | 10.91% | 事業会社 | 180日間 |
| WiL Fund II, L.P. 他VC群 | 約31.4% | VC | 90日間 または 公開価格の1.5倍 |
事業会社や社長には強固な「180日間」のロックアップが設定されていますが、発行済株式数の約31%を保有するベンチャーキャピタル群には、公開価格の1.5倍 に達した時点でロックアップが解除される条件が付与されています。
想定発行価格230円を基準とした場合、1.5倍のラインは 345円 となります。VCの取得単価は今回のIPO価格を大きく上回っているため、345円に到達した瞬間に大量の売り注文が市場に降り注ぐ公算が極めて高く、この水準が非常に強固な上値抵抗線(レジスタンス)として機能します。
初値予想とプライマリー市場での評価
上述のファンダメンタルズと需給環境を踏まえた、上場日における初値形成の予測は以下の通りです。
ポジティブ要因(買い材料)
- 想定価格 230円 という超低位株設定により、個人投資家の短期資金が集まりやすい。
- 長年の先行投資フェーズを終え、上場イヤーで明確な 黒字転換 を達成。
- SMBC日興証券主幹事 × 低位株 という、初値が上昇しやすいアノマリー(経験則)。
ネガティブ要因(売り材料)
- 公開株数が約 680万株 と膨大であり、上値を重くする物理的要因となる。
- 売出比率 81.3% という極めて強いエグジット色。
- 公開価格 1.5倍 で待ち構えるVC群のロックアップ解除条件。
総合的に判断すると、エブリーの初値予想のコンセンサスは 中立からやや弱気 となります。低位株効果による買い支えで公募割れリスクは限定的ですが、上値余地も小さく、公開価格の1.1倍〜1.3倍程度(250円 ~ 300円水準) での着地が現実的と予想されます。
結論:エブリーIPOに対する総合的な投資判断

株式会社エブリーのIPOは、デジタル広告の限界という壁を「リテールメディア」によって打破した、見事な事業転換の成果として評価できます。食品卸大手との連合によるネットワークは、競合が容易に模倣できない強固な参入障壁を築いています。
しかし、株式市場の観点からは、ダウンラウンドの歪みを清算するイグジット案件 であるという事実は否めません。
上場直後のプライマリー市場においては、低単価を活かした短期的な値幅取りの機会が存在します。しかし、中長期的なセカンダリー投資にあたっては、発行済株式の30%以上を占めるベンチャーキャピタルの潜在的な売り圧力が完全に消化されるまで(上場後半年〜1年程度)、慎重なエントリータイミングの模索が求められます。
エブリーが真の企業価値を再評価されるのは、上場で得た資金と信用を梃子に利益率を飛躍的に高め、既存株主の巨大な売り圧力を自力で吸収できるだけの業績モメンタムを証明した時となるでしょう。